妊娠育児備忘録

妊娠中、産後の備忘録

日々の雑記

さて、とうとう、7ヶ月もあと数日を残すところになってきた。


来月からは8ヶ月。


ありがたいことに、悪阻も軽かったので、

割と過ごしやすい方の妊娠生活をこれまで

送ってこれた。


他の妊婦さんはどんな風に日々を過ごすのかな。

先日書いた私の友人のように、ホルモンのバランスによる情緒不安定からメンタル的に

苦しい妊娠生活を送る妊婦さんもいれば、私のように比較的穏やかに過ごすような妊婦さんもいたり、様々だろうな。


私の場合は、むしろ、、、穏やかに過ごしてる、と言った方が正しいのかも。


基本的に自己中で喜怒哀楽の激しい私が、お腹に大事なものがあると思うだけで、

優しい気持ちになれたり、元気になれたり。


胎教とかって、お腹に話しかけるのがいいとかいうことの本質は実のところ分からないけど、

たとえ、赤ちゃんに私の声が伝わっていなくとも、話しかける時にこみ上げてくる優しい気持ちや、ここに来てくれたことへの感謝や、愛おしさに包まれること自体、私の精神衛生上とても素晴らしいことだと思えるし、

それは即ち、声は伝らなくとも、その柔らかい感情や波長なんかは赤ちゃんに伝わってるんじゃないかな、と思える。

なので、めっちゃ話す笑



実は、妊娠して安定期あたりで、周囲の人に報告する時、今のご時世、やはり、不妊の知り合いや友人なんかもいたりして、そのへん、どうしたものかと考えたりもした。

きっと、皆気にするよな。

SNSだのグループラインだの。

こちらは出産していて、こちらは不妊中とか。 



けど、私は、私自身逆の立場だと気を遣われたくないし、基本的に人は人、自分は自分、と考えているので、あまり気を遣わないでいたくて。


私自身、出来にくいかもと産婦人科で言われてたが、妊娠していく友人を前に何も思ったことがなかったので余計に。


まだ時期的に子どもをそんなに切望していなかったことや、人は人、自分は自分と、かなり割り切って考える思考だったこと、最悪、夫と2人で楽しく生きていくこともなしじゃないと考えていたこともあり、羨ましいとかも皆無で、もしかしたら、妊娠出産こどもについて、まだまだ深く考えていなかったのかもしれない。


そういうこともあって、こどもを切望している人たちの気持ちを深く考えられていなかったのかもしれないし、考える必要もないのかもしれないし、とにかく、気を遣わないし、遣わないで欲しいと考えていた。


今も、誰かが妊娠したり、誰かが妊娠しないのは、個々の事情であり、喜ぶのも自由、悲しむのも自由、とは思っている。



私は幸せなことは幸せと自由に言いたいし、

言って欲しいとも思う。


その考えや気持ちについては、今も変わりないけれど、

それでも違う気持ちは生まれたように思う。


やっぱりネットサーフィンやら知恵袋やらでたまに、何年も何年も不妊治療をしているけど、身ごもれない人、そんな中前向きに毎日を頑張っている人の声を目にすると、そこに気持ちをすり寄せられはしないけど、

出来にくいかもと言われてた私に、

子作りをしていなかった私たちに(つまりは、こどもをつくるために夫婦間の営みをしていなかった)、突然、来てくれたことへの感謝が日々、とてつもなく大きなものになっていて、それが本当にありがたくて、本当に奇跡で、感謝して大切にしなくてはいけないものなのだと日々思うようになったし、

毎日思っている。


色々な立場の人もいるし、今も、別にその立場になって考える必要もないとは思っているけど、

色々な立場の人がいることを理解して、今の自分の毎日に本当に感謝することは大切だと感じている。



お腹の赤ちゃんの顔を見たら、心の底から

ありがとう。と伝えたい。